giverとtaker
鎌倉の美容番長こと、Asi.(アシ)発起人の田熊です!
本日もAsi.にアクセスしてくださり、ありがとうございます。
今回のテーマは、最近よく聞く「ギバー」と「テイカー」について。
調べてみると、
ギバー…人に惜しみなく与える人
テイカー…真っ先に自分の利益を優先させる人
だそうだ。
それぞれの特徴を読み進めていくと、わたしは間違いなくギバーに分類されます。
しかし、つい先日昔からの友人に「欲しがるばかりで先に与えない」という言葉をもらった。
一瞬、戸惑ったが「もしかしたらそうかもしれない」と己を省みることにしました。
組織心理学者アダム・グランド氏が著書によると、ギバーにも2種類あり、
A)
WIN-WINを考える.
人、時、事柄を選んで与える
B)
自己犠牲をする
誰にでも何でも与える
それでいうと、元々B傾向があったのがAに変容したと思う。
自己犠牲に関しては、2017年のメディア取材ではっきり「自己犠牲はもう払わない」と明言してありました。
基本、ギバーであるわたしの何が相手にテイカーと映ったんだろうか。
そもそもギバーでも、テイカーの部分だったり、その中間にあるマッチャーだったり、人間だからどの要素も内包している。
相手が「どこを切り取るか」ではないか。と仮定してみた。
ギブする。
特に、エゴや欠乏感が動機で与えるときに、その歪みが生じる。
「〇〇したから、こうして欲しい」
求めるが故のギブである限り、その相手が期待に反した場合にテイカーに映る。
こういったギブは、主従関係を作る報酬です。
無償の愛とは程遠くなります。
自分がどんな動機からのギブなのか、それに相応しい人、時、事柄なのか。
この仮定から導いた結論で言えば、その友人の視点からみて、わたしはテイカーでありご期待に添えなかったのでしょう。
自己犠牲や無理をして奉仕する行為が、もしかしたら「テイカー」を作り出しているのかもしれません。
箱根で開催した「おひらき祭」。テイカーのいない世界
本質的な自己愛があってのギブでないと、世界が歪むのです。
自戒の念を込めて
世界が、他者を自分の思い通りしたいというエゴ、幻想を手放していけますように。
そのためにも、前回の記事「セルフラブ」について読み返していただけると嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
たくまゆい
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