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1歩が踏み出せない時。夢を諦めそうな時。モチベーションを継続させたい方へ


【糸紡ぎを通して伝えたいこと】

世界最古と言われる糸紡ぎの伝承を、「紡ぐ集い」という名称で、日本で行なっています。

 

ヒマラヤからも毎月のオンラインクラスを続けていまて、最近の「紡ぐ集い」はとてもいい感じで、初めは自信なさげなみんなの表情が、クラスが終わる時には心もオープン、笑顔も何かを掴んだ自信に溢れてる。
ただ黙ってそれぞれに糸を紡ぐだけなのに。
そうそう。私が伝えたかったのはこれなんだ。と、私の情熱が喜ぶのを感じている。

 

 

【持続可能なコミュニティをめざしての挑戦】

 

 

日本で行っている糸紡ぎのクラスは、ヒマラヤの日々の営みをモデルにしてきた。

 

ヒマラヤの村には村長も自治会もないのに太古から暮らしが持続している秘訣に習って、役職や講習費を固定しない運営を続けてきた。
そのやり方は現代の日本では珍しい形で、全然上手くいかなかったけれど、4.5年の継続努力の結果、最近、確かな手応えを感じてきている。

 

 

【 技術だけでなく、空気感の伝承 】

 

 

雪のヒマラヤの陽の当たる場所。何人もの村人が集まり、「糸を紡ぐ人」「編み物をする人」「織物をする人」登山道には羊の遊牧をする羊飼い。
羊~糸〜衣服。の繋がりが、当たり前の様に、暮らしの中に存在するのを見て、私は思考ではなく、恋に落ちる様に糸紡ぎを始めた。
10年たった今では、陽の当たる場所に座る村人ともに自分が座る様になり、遊牧から織りまでをするようになった。

 

長老たちから学んだのは、糸紡ぎの技術だけじゃなくて、深い深い何かを伝えてもらったと思っている。

 

他の先住民の部族にも、みんなで集い糸を紡ぎ織る文化がある様だ。
自然と各地の先住民の糸紡ぎのお話に共感するようになった。
目でも見えない、耳で聞くこともできない、心で受け取った何かを、心に溢れる何かを、私は次に世代に伝えたいんだ。

 

だから、現代の日本の一般的な形。ウケている形。を、勧められたり、求められたりした時には、できるだけヒマラヤの村での意識を優先し続けてきた。

 

大きな反応として還ってくることも多々あったが、自分と地球と宇宙との繋がりが私にとって1番大切だった。

 

 

【不可能だと感じることも、いつの間にか可能になる】

 

 

多くの人にとって糸を紡いで(それもスピンドルという原始的な方法で)衣服を持久するというのは、想像もつかない、どこかの誰かの話だと思ってしまうけど、人類の長い歴史においてコミュニティや家族で分担して衣服を自給してきた生きてきた歴史の長さはは、近代文明より長いと思う。近代文明の中に育った私は、自分が糸を紡いで織物をするなんて想像もしてなかった。

 

子供の時はいつだってすべてが未知のものだったはずなのに、大人になると、未知のものに取り組み、長い時間をかけて技術を習得しようとすると、たくさんの理由をつけてしまう。

 

そして、未知なる経験に足を踏み出すのは勇気がいるようになるし、結果がすぐに出る事の方を優先して選択する癖もついてくる。

 

頑張ってもすぐに結果のでない事や、周りの人とも分かち合えない努力を重ねる事は、なんだか意味の無い事に思える時もある。

 

私のヒマラヤでの10年は、他の人にわかって貰えなくても、自分の感じている事を信じて、1歩1歩足を踏み出し続けることだけだった。

 

 

大いなる存在の意思と

私の存在が共にあり、

その意思をこの身体で

生きることができるよう導いてください。

導きが与えられたら、

懸命にその役割を頑張ります。

 

 

 

 

【挑戦を続ける意味】

 

 

 

「紡ぐ集い」という、持ち寄りの心を尊重する組織を自分が主宰し、経済面でも機能する状態まで育むこと。

それをヒマラヤに住みながら形にしていくなんて、自分の性格を思うと向いていないと未だに思ってしまう。

諦めやすい心も出てくる。

何度も色んな理由をつけて、辞めてしまおうと思った。

 

続けて来られたのは、私自身を信じるというより、「糸紡ぎと村の長老を信じて」このプロジェクトは「いい種」だと、自分が糸紡ぎを通して体験して得た「種」、この世界から消えようとしている「種」に、肥料や水をあげて育てなさい。そして未来の世代にその種を繋がなくては。と思った。

なかなか伝わらなくて苦難の時期が長かった。

思考は無理だ。と何度も叫び、直感はいつでも続けよう。の一点張りだった。

 

苦難があると、たくさんの人がそれぞれの形で、肥料や水を与えてくれた。

 

そうして日本では育ちにくいと思われた種類の「種」が、少しづつ育っていると思う。

行政には頼らず、個人の有志、サポートのおかげで運営が続いている。

苦難することで、深い感謝を知ることが出来た。

多くの人に助けを求めることを知った。

 

志を通して現れた現実は、自分にとって心地よいものだけではなくて、心地よくない出来事も沢山あった。

 

その中で、できるだけヒマラヤの尊敬する長老たちとの掟を優先するようにしてきた。

彼らの文化が今日まで残っているのは、彼らは自分たちの大切なことをシンプルに続け、現代文明は否定はしないけど、彼らは必要な部分を少しだけ受け入れただけで、多くは自分たちには必要ない。と、淡々と生きているおかげだと思う。

 

世間の意見もその通りだと思っても、自分が持ちきれない時は断る。事も必要だと知った。

誰かの期待や思いの答えられなくて、誰かを怒らせたり、ガッカリさせてしまうこともあった。

 

私はここに来た頃全ての人と仲良くするべきだと振舞っていた。

全ての人に好かれて、全てが上手くいくなんて無理なんだ。トラブルになるから多くの人にとって深入りしないように。と、忠告されていた。

それはヒマラヤの人達には常識で、互いを否定する訳でもなく、肯定するでもなく、ただ存在だけ受け入れている。みたいな感じだった。

志を共有し共に歩く事は出来ずとも、ご縁があった方々には感謝を送っています。

大きなコミュニティで大きな事をみんなでやっていく役目の人もいれば、ヒマラヤの山奥でひとりでひっそりと暮らし、それを地味に伝えて行く役目の人もいるようだ。

 

それぞれがそれぞれ自分の中に光の欠片を持っている。

 

人と比べる必要はなく、人を羨む事も否定する必要も無い。

 

 

 

1番大切な事は

 

 

「種」とは、私達が育みたいこと、熱、行動の総称。

 

もしも、あなたの育てている種が、きっとみんなに幸せをもたらす種だと思ったら、実がなるまでに時間がかかっても、どうか諦めないで欲しい。

もしもあなたが、人生を通してなにかの役に立ちたいとか、生きがいを見つけたいと思っていたら、育成難度よりもその実の性質を吟味してはいかがだろうか?

 

甘い実の種からしか、甘い実は育たない。それは当たり前の事。

 

 

小さな1歩を踏み出し続けた人だけが、山の頂にたどり着くことができる。

いきなり高い山に登らなくていい。少しづつ努力はするけど無理しないで進んでいく。

そして、いつでも自分の体と心を大切にご自愛くださいね。

 

 

糸を紡ぎ織る作業を繰り返し学んだこと。

大好きな人達から伝えてもらった事

 

こうして書くと立派なようだが、それは自分に対して伝えているようです。

 

 

 

 

 

MutsumiUmi  の主催する「紡ぐ集い」

毎年2月11月頃の年2回、新規の方のコースを行っています。

詳しくは、bellaterrawool.com より Event のカテゴリーへお知らせを随時更新しております。

 

 

 

この記事を書いた人

MutsumiUmi

Bella Terraオーナーデザイナー。旅の途中、ヒマラヤの山岳遊牧民と出会いにより、人の手が介入していない大自然の営みを目の当たりにして彼女は人生の大きな転機を迎える。以来、ヒマラヤ標高2600Mにある人口100人ほどの徒歩のみでたどり着ける村に移住。
人間という生き物が、野生動物のように、美しく輝いて地球の上で命を繋いできた ”人が地球と共に、循環しながら暮らしている姿” を、民族に伝わる教え、羊飼いの生活と文化を主とした日々をお伝えします。

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