【愛と赦し】わたし達はどう生きるか
愛と赦しとは
本日も次元上昇メディアAsi.(アシ)にアクセス頂きありがとうございます。
Asi.発起人、鎌倉の美容番長改めスピリチュアル番長の田熊です。
今回はAsi.エディターズが同じテーマについて綴る企画【愛と赦し】特集となります。
愛とは
愛の定義は多岐にわたりますが、他者への深い情熱や無償の思いやり、尊重を含む関係性が一般的に使われていました。
ここ数年、自己に対する愛が重要視され、自分自身に対する肯定的な感情や価値観を持つことが大事だと巷でもよく聞くようになりました。
自己愛に関しては過去の投稿【セルフラブ-本質的な自己愛】にもありますが、
自己受容を繰り返し、自分を満たしてください。
御自愛あって、他者への敬愛ができるようになります。
まず、自分を愛することが出来なければ、他者を愛することはできません。
誰に遠慮することなく、自分を愛しましょう。
しかし、自己への愛を真に理解しなければ、ただの自分勝手な人間になってしまいます。
【あるがままの私】に詳しく書いてあるのでそちらもよかったら読んでみてください。
赦しとは
赦しは、過去に起こった過ちや傷を受けた行為に対して悲しみや怒りを手放し、自分自身との和解や癒しを追求する行為です。
では、「赦す」と「許す」は何が違うのでしょうか。
赦しと許しの違い
「赦し」と「許し」は似ていますが、微妙な違いがあります。
「赦し」は、他者や状況に対して心の中で行う行為であり、その行為によって自分自身を解放することを意味します。
「許し」は、他者に対して感情的な負担や恨みを放棄し、和解することを指します。
要するに、「赦し」は自己の心理的なプロセスであり、「許し」は他者との関係を修復する行為です。
どう生きるか
わたしは、赦したいから生きています。
自分自身に対しても、他者に対しても。
赦しは自己完結できるものです。
しかし、許しはどうでしょう。
私だって人間だから、許せないことはあります。
例えば、私の存在自体を否定するような捨て台詞。
私は、私を侮辱する人間が近くにいるのは許さないと決めています。
それは、私が私自身を大切に扱っているから。
普段は穏やかな私でも、その時は感情を露わに怒るようにしています。
相手にしない、反応しないとこもできるが、大事な人だから感情を出す意味。
その理由は、相手を許すきっかけが欲しいからなんですよね。
そして、謝られたら子どものように許せる自分でいたいと思って生きています。
スピリチュアルな解釈でいうと、
「赦し」は自分の内側へ向かい
「許し」は自分の外側に向かう。
メディアで大層なことを言っても書いても、人間でいる限りエゴが完全に消えることはないし、二元性を体験しに地球に生まれたわけですから。
大事なのは、気づけているか、いないか。
これからの地球で生きるには
自分を愛し
生きとし生けるものを愛し
赦し、許し合う
両方が必要なのだと、ここで宣言します。
内側へも外側へも自分という肉体を使って繋がっていきましょう。
誤解がないように繰り返しになりますが、わたしは無宗教であり、特定のものを信仰する団体にも所属していません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
たくまゆい
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