拠点を持たない生き方
家の給湯器が壊れて、お湯が出なくなりました。
2週間ほど、お湯が出ない生活を余儀なくされて、淡路島内のお風呂屋さんに通う生活をしておりました。
お金がいちいちかかってしまうというところはありますが、
そこはさておき車を持たないため、お風呂にいくのもなかなか大変で誰かの車に便乗するか、自力でチャリや徒歩で行くしかありません。
家の近くに銭湯があるわけでもなく、大体宿の日帰り浴場へ。大体20時までの受付というのもあり
一番のストレスは「時間が制限されること」。
自分のタイミングでお風呂に入れない!
往復などで時間がとられる!
というのが一番大変でした。
とはいえ、続けていくうちに気づきもたくさん。
そもそも家ではシャワーのみだったので
・足を伸ばしてお風呂に入れる
・帰りは満天の星空を眺めながら歩ける(湯冷めするけど)※サムネイルの写真はお風呂帰りの空
・ひとりで行く時は、いろんなことを考える時間になる
など、メリットもたくさんあったんですね。
そして、最後のほうに気づいたのは、
「私、不便を楽しんでいる!」ということ。
不便であることは、どうやってこの状況を楽しむか?
というクリエイティビティすら生まれます。
そして、何よりあらゆることへの「ありがたみ」も感じやすくなります。
「お湯出ない」事件は、さまざまな享受があったんです。
ありがてえ、ありがてえ。
そういったこともあり、私は暮らしをととのえることにさほど興味がないということを
改めて実感しました。
しかしながら、
「自分の家をととのえることができない」
これが私にとってのコンプレックスであり悩みでした。
ととのえるとができない、というのは
「掃除ができません」という話ではなく
家具に投資するとか、居心地のいい空間に命を懸けることに、です。
でもそれは、「ここにいるのが居心地よくなっちゃって動きたくなったら困る」という潜在意識がそうさせている気もしました。
同じ地にずっといるというのは、性分に合わないのです。
とはいえ、「居心地の悪い空間」にいるのはもちろん、嫌です。
つまるところ、「極力荷物が少なくする」ということが
自分にとって大切なのではないか。
というところに辿り着きました。
さらに契約云々もしてしまうと大変なので、
間借りしながら生きていくくらいがちょうどよさそうです。
つまりヤドカリ生活。
それはそれで落ち着かなそうですが、現状はそれがベスト。
家をととのえて、その土地に根付くことが必要な人もいると思います。
本当に人それぞれ。
いろいろ試してみて、「自分がどうやって生きていることが心地いいのか」という
自分なりの正解を探すことが、よいのでしょう。
そのうち床も壁もない森の中に住んでいるのではないだろうか。
あり得る。
少しずつ荷を下ろして、自分にフィットする拠点の持ち方を探っていきたいものです。
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