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私が修行をする意味


「修行」。

この言葉を聞いて、どんなイメージが湧きますか?

多くの人は、「修行」という言葉を聞いて、「鍛錬する」「苦労する」「忍耐」など、何かを我慢して、何かしらの技術(スキル)を身につける、上へいく、ステップアップするといったようなことを思い浮かべるのではないでしょうか。

 

しかしながら、「修行」と調べると下記のような意味が出てきます。

 

修行とは、“仏教において何物も求めず利害得失を離れて,悟りを開いた人々の道を行ずる事”

 

「何も求めない」ので、修行の先に「何かを得る」という考え方ではないのです。

ただ、「修業」となると、また違います。

 

修業とは、“一定の業(わざ)を習い修めることを意味し、それは「自分の利益」のための行為”

 

つまりは「何かを得るため」であり、その目的の先には利益、損得といったものが働いてきます。

 

なるほど、「行」と「業」、一文字違うだけで、全く逆の目的になるのです。

私は昔から、「修行」というものに強く惹かれていて、

それがどんなに苦しいことであっても、魂が喜んでいることがわかります。

そして、その修行は「苦しいものでなくてはならない」ということでもありません。

 

いずれにせよ、苦しかろうか苦しくないであろうが、

なぜかワクワクします。

 

「滝行? え、やりたい!」

という感じです。

 

儀式やら何やら受けているのも、何も「今の私じゃいけない!」と思っているわけでもないのです。

とはいえ、ただただ好奇心だけで動いているわけでもありません(それもあるけれど)。

必要があって引き寄せられている。

そんなふうに、思っています。

 

そもそも、生きているだけで「修行」なんですけどね。

いや、それは修業だな。

今までは人生、生きるだけで「修業」をしてきた。

それは顕在意識の“しゅぎょう”。

そこがある程度終わったから、次は精神世界での“しゅぎょう”が始まったように感じる。

 

「悟りを開きたい!」と考えているわけではありませんが、

そこに向かおうとするのは宇宙レベルの本能なのかもしれません。

 

「人生、一生修行」。

 

これだけ聞くと、なんだか辛そうな人生ですが、

私にとってはとても楽しい人生なのです。

 

ドラクエってすごく楽しいじゃないですか。

それって自分なりの戦い方とか仲間や宝箱、武器の見つけ方とかができるからこそ。

めちゃくちゃギリギリなHPで戦うことも、とにかくスライム倒しまくってレベルアップしてから余裕でモンスターと戦うことも、

すべて個人の自由。

どの状態が自分にとって楽しいのか? それはフェーズによっても違うだろうし、経験をしたことで変わることもあるでしょう。

 

修行も、どんな修行を経ていくことで人生に影響していくのか、自分を形成していくのか?

わからないながらも直感で選びとっていくと、

後になって伏線回収できてくるものです。

 

さてさてこの先、どんな修行が待っているのでしょうか。

 

楽しみで仕方ありません。

 

この記事を書いた人

竹尾園美

Asi.編集長。新卒から大手出版社にて雑誌編集者を経験。
「CLASSY.」や「Ray」などの女性ファッション誌のほか、「ハワイスタイル」「主婦の友」など旅や実用誌などさまざまなジャンルに携わる。12年間の出版社勤務を経て、2016年に独立。動画メディア「MINE」編集長のほかWebメディアの立ち上げ、アパレルECサイトのディレクションなど活動は多岐に渡る。2021年より復刊した雑誌「GLITTER」の副編集長を務める。2023年5月に淡路島へ移住。いつでもどこでも、自由に生きながらやりたいことをやる生き方を発信中。
あだ名はおその。

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