「人に良い」と書いて「食」となる
みなさんにとって「食」とはどんな存在ですか?
多ければ1日3食は食べ、365日で1000食、
80年生きると単純計算で87,600食。
人生のなかで「食」が占める割合は相当高めです。
そう、「食」は人が生きているうえで、欠かせないものなのです。
私も、食べることは大好きです。
美味しいものを食べている時間はとても“至福”です。
あんこぎっしりのお饅頭、あっさりと見せかけて濃厚なラーメン(行例並べる)、ドライブスルーのソフトクリーム、
宿でいただく朝食の卵かけご飯、草だんごのよもぎの香り、
ツヤツヤの塩おむすび、蕎麦屋のカツ丼、、
ああ、だめだ思い出したらキリがない。終わらないのでここまでにしておきます。
なんなら、まずいものを食べると腹立つことさえあります。
“いい気分”でいるためにも、食の時間は大切です。
「食」という字を見てみても、「人に良い」という字で成り立っています。
では、「人に良い」とはどういうことか。
人に良い食とは、
1.体にとって「良い」
→体をつくる栄養<タンパク質や脂質、ビタミンミネラル、糖>
2.心にとって「良い」
→五感で感じるエンターテイメント性<味や視覚、香り、食感>
3.魂にとって「良い」
→光のエネルギー<満たす要素、気>
この3つなのではないか、と私は考えます
そして、できるだけこの3つが重なりあっていることが
ベストな「食」だと思うし、そのベストはその人によっても異なると思います。
ファスティング、ヴィーガン、ローフード、発酵、…
そのどれもが間違ってはいないけど、
自分が当てはまるかどうかは自分にしかわかりません。
「美味しい」と感じたならその人にとっては正解だし、
たとえ以前は合っていたものでも、突然合わなくなることもあります。
その逆もあります。また、同じ食材でも「質」が変われば変わります。
つまりは「食べたいものを食べればいい」。
ここ数ヶ月はお酒をやめたし、お肉もほとんど食べていないのですが
「今の私が好きなものを選んでいたらこうなった」という結果でしかないのです。
そこに我慢も無理も存在していません。
だから一生やめたとも思ってないです。
お酒飲みたくなったら飲むだろうし、お肉もちょこちょこいただきます。気にするのは「質」かな。
別にそんな生活だから激痩せしましたとか、調子よくなったとか、人生が変わったとかないです。
でも、シンプルに「必要ない」という感じ。つまりは不必要なエネルギーということ。
不必要なものは手放す。そうすれば、また別のエネルギーが入ってくる。
そういうことじゃないでしょうか。
ともあれ、「自分にとっては必要だ」と確信しているなら、なんでもいいと思います。
私も美味しいワインや日本酒は大好きです。
「人に良い」=「自分に良い」食を、楽しんでいきましょう♪
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