epilogue① 葉山からヒマラヤへ
—Bella Terra—
・・・はじまりのはなし・・・
何から話せばいいんだろう?
それは、長い長いお話し…
私達人類が太古の昔から受け継いできた暮らしはこの数百年で急速に、発展と言う名の変化を遂げて、私たちは物質の中に生きる方法しかわからなくなってしまった。
私たち人類は火をおこして、川から水を汲んで、野に出て植物や動物を採集と農耕と牧畜で賄っていた。
目の前にある、自然の中から材料を調達して、家を建てて、糸を紡いで、衣を作ることが当たり前でみんながそうやって暮らしていた。
電気も、水道も、ガスもなかった。
人間がこの地球に誕生してから、とても長い時をそのように過ごしていたんだ。
日本の神奈川県に生まれ育った私には、想像もつかないことだった。
2014年からヒマラヤのとある小さな山岳遊牧民族の村に民族の村に暮らしているよ。
最初は何もできなくて、学校も、テレビも、教えてくれない事を、もう一度生まれ変わって赤ちゃんからやり直してできるようになっていったような日々だった。
この村には『太古の昔から人類が繋いできた何か大切な事。』が、まだ息をしているような場所。
世界中に散らばっている悠久の地球の記録のかけらを護る少数民族たち。
彼らが叡智を宿しているというのは本とかお話会で知ってはいたけれど、私が実際に世界の少数民族の土地で暮らしたときの事を話してみよう。
~ガイドブックには載ってない、あてのない旅人を長い間していたからかもしれないし、『導き』や『運命』という言葉を使って表現する人もいるかもしれない。~
少数民族はアメリカ大陸、オーストラリア、このアジア、ヨーロッパ、アフリカ、そして、日本にも、今もまだいる。
私がその存在をしっかりと知ったのは2008年から始めた日本、オーストラリア、アメリカ大陸、アジア各国の旅の途中だった。
私たち先進国の人が、電気があって、水道があって、車があって、そんな生活がいつしか当たり前になって、そのことを、特に気にも留めなくなっしまったけど。
CANADA, AUS、USAを旅すると、先住民の人達が
『つい数百年まで少数民族の統治している大地で、自分たちの古来から受け継いだ文化とこの大地に対する尊敬と感謝を残していこう。』
と、発信している人達に出会ったのがきっかけだった。
長い旅の最中に各地の先住民族の人に出会い数日から数か月、その大地にお世話になって共に暮らしたことはあったけど本当の深い部分は想像すらできなかった。
今だって、少ししかわかっていないと思うけど。
ヒマラヤに来て、とても尊敬できる師匠ができて、自分が見て、聞いて、身に着けた技術を伝えてくれようとしている。
ヒマラヤの暮らしはとても遠い世界の事のように思えたけど、とても納得できることばかり。
彼らの瞳はいつも輝いていて、ヒマラヤの山並みを見つめながら、
草原や岩の上の日向に座り一緒に糸を紡いでいるときにぽつりぽつりと話してくれる、
長老たちのその小さな声は、いつしか私の中でどんどん大きくなっていったんだ。
ここでの暮らしの始まりは、今、思い出しても物語の様
ヒマラヤに初雪の降った冬の始まり日の事だった。
運命や導きを信じずにはいられないよ。
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