【 愛と赦し 】ヒマラヤの少数民族との暮らしから
【 はじめに 】
10代でyogaを20代中頃から瞑想を始め、世界各国を巡りたくさんのメソッドを本場で体験してきました。
メソッドごとに特徴がありますが、どのメソッドにも本質的な「 愛 」の重要性を見出すことができると思います。
私のお世話になっているヒマラヤの村はヒンズー教とシーク教の聖地にあり、地元の人々はヒンズー教ベースの山岳信仰に敬虔です。
【 バクティ・ヨーガ 別名 愛のヨーガ 】
愛というのは私たちに備わっている根本的な性質の一つです。
エゴを主体にした愛。
エゴがなく、無心から生まれる愛。
同じ愛でも自我や欲求を伴う愛と、他者を純粋に愛する愛とでは大いに違ってくる。
心が平安で満ち足りた状態、そんな時にはすべてのものが愛おしく、すべてのものの中に神が宿っているように感じるものです。
ヨーガではKirtanやアーサナによって、心身をリラックスさせ、外的要因に頼らない内側から湧いてくる、平和で平安な心の状態を体感します。
さらにバクティ・ヨーガの学びが深まると、自らが神を愛し、神の喜ぶことを行為していく事で、神に愛されている。信頼が心の深くにしっかり座するようになります。
まさに、ヒマラヤの少数民族は多くの方達が幼い頃からの習慣により、この事を経験を通して理解しています。
参考文献 バクティ・ヨーガについて Maha yogi mission より
【ヒマラヤの人々と愛 】
大いなる存在を敬っている彼等は、生きているだけで愛されている、祝福されている。と、日々、感謝を口にしています。
野薔薇が咲き乱れるのを見て、神様のおかげ。と、言って手を合わせ頭を下げます。その花を切って祭壇に捧げる事はあっても、家に飾ることはしません。
冬が来る前に干し草をためておくタワーを作って、そのてっぺんに神への捧げ物のお花を飾り、手を合わせ頭を下げます。
こうして、大自然の中で生きている彼等は、大地が与えてくれる恵に、感謝を込めて頭を下げます。
ヒマラヤでは、人間は地球が与えてくれる物を加工することはできても、風も土も水も日も、私たちには作り出すことができず、大いなる存在が与えてくださっている。と理解し、人がこの星のピラミッドの頂点という知覚はありません。
その思想と道徳律を重んじた謙虚な、でも、快活で豪快な面も落ち合わせた彼等は、物質的な意味で沢山のものに囲まれていなくとも、とても豊かで幸せそうです。
そのように満たされている状態の人々は、物質の必要性より、シンプルな暮らしの中に穏やかな幸せが溢れていることを知っています。
【 私自身の経験 】
ヒマラヤの村の人達は、明るく素直で細かいことは気にしない様子で、自ら命を絶ったり、トラウマ、鬱、などの話を聞いたことがありません。
この場所で暮らし始めた頃は、正直、お節介でプライバシーなどなく、愛情故にどこまでも許可も取らずヅカヅカ入り込んでくるような、お節介すぎると感じた愛情に戸惑っていました。
羊を遊牧し、紡ぎ、織りを。共同の水場を使い、共に草刈りに行き。そんな暮らしの中で現地の言葉が話せるようになり、ここでの習慣を深く理解し始めると、最初は拒絶していたことが気にならなくなり、飾らない遠慮のない真っ直ぐな、愚直とも言える愛情に溢れた人間関係を素直に受け入れられるようになってきました。
心の内の穏やかな小さな幸せを、1人ではなく共に感じている実感が、日常のあちらこちらに散らばっています。
羊達に草をはませながら急な斜面を歩き、夕方沈む夕日を眺め、羊の頭数がかけていないことを確認し交わす笑顔。
自家採取の種を撒き実った野菜を収穫し、一緒に手を合わせて神様のおかげだね。と笑う瞬間。
牧草は育ても買いもせず、遊牧か自生の草を飼い育てている、搾りたての牛のお乳を毎日いただくお茶の時間。
トラウマとか、過去の経験の傷が。という他者との関係で刻まれたものが、自然と浅くなっていって、気がついた時には幼い頃のわだかまり等すっかり忘れてしまって、今、ここ。この瞬間にあります。
幼い頃のトラウマに何もしなくて良かったのです。
他者からのピュアな愛情、地球が与えてくれる恵みと愛、大いなる存在、宇宙からの愛を、素直に感謝して受け取るだけで良かった様です。
思考や意識を離れ、瞬間、瞬間、素直に大いなる存在の中にある愛と安らぎを受け取ると、自然とたくさんの刻まれて思考のパターンからも自由になっていたように思います。
そうしてバクティ・ヨーガの伝えていることを、体験で感じたのです。
純粋な愛情という経験は安心を与えてくれ、そして、いつの間にか自分で自分に課していた 「罪」を含め、無意識レベルでの「 赦し 」が起こっていました。
【 10年目の今 】
恋バナが好きな方には残念ながら、ヒマラヤに婚姻関係や恋愛関係があって、訳ではないんですね。
こちらの民族は、他所から来た人には厳しいですが、一度深い信頼関係が築かれ、仲間と認識されると、家族と同じようにとても親切にしてくれます。そして、裏切りや本音と建前等は心配する必要ありません。
色んなことがありましたが、血縁はなくとも、今は、私を家族の一員の様に迎えてくれてる人達がいてとても安心して暮らしています。
他者から与えられる「愛」ではなく、自分の内に存在している「愛」を知覚すると同時に、自分の内に他者や外的要因では無い「大きな黒い塊」のような存在も知覚するようになりました。
ありのままの自分。
光も闇もうちに持っている自分を「赦し受け入れること」は、魂や命を削っていると錯覚するくらい苦しいですが、そんな時、山での日常に溢れる笑顔と愛情が、現実と立ち向かう力になってくれています。
地球の与えてくれる深い愛
シンプルに素直に生きる人達からの
瞬間、瞬間のピュアな愛
光を知ることで闇を知り
闇を知る事で赦しを体験した
その全てを内包する大いなる存在
宇宙からの普遍の愛
たった10年の
ヒマラヤ暮らしの中で
私が体験し見てきたこと
だから今日も祈ります
母なる大地の与えてくれる
恵みと愛を享受され
父なる宇宙の導きと叡智と共に
輝く旅路を歩み生きますように
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