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スピ研修生が考える【愛と赦し】


みなさんこんにちは!
Asi.のスピリチュアル研修生、メンバーの中で一番3次元に接して過ごしているSAORIです。

 

今回エディターみんなで共通のテーマでコラムを書くということで楽しく取り組めたらいいなぁと思っています。

 

「愛と赦し」

 

これは私にとってかなり難しいテーマです。
個人的な話になりますが、パートナーや家族間問題について、「愛と赦し」についての宇宙からのドリルがちょうど一年前頃から始まっていて、まだ絶賛そのドリルに取り組み中だからです。

そして、みんなと違って感覚的にズバッと理解している訳ではない自分は、考えながら、模索しながら書くことになるので、何が書けるだろうか、と言う不安もあります。

 

到底まとめられる気がしませんでしたが、今回のコラムを書くにあたり、単純な意味に立ち返ってみようと思い辞書を引いてみました。

いくつかの辞書サイトで出てきた内容を抜き出してみます。

 

【愛】

そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持ち。
かわいがり、いつくしむ心。
大事なものとして慕う心。
男女が思いあう。親しみの心でよりかかる。

 

【赦す】

罪や過ちをゆるす。
過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。
相手がしたいようにさせる。まかせる。
「許す」はこれから行う行為を認めること。「赦す」はすでに行った行為の失敗を責めないこと。

 

検索している中で出てきた、東京三育小学校というセブンスデー・アドベンチスト教会系の小学校の校長先生のコラムの文中には

 

『「ゆるす」には本来、固く締められたものや力を「ゆるやかにする」の意味が込められており、罪や過ち、人や事柄に寛大で、憐れみと慈しみを伴い、愛する姿勢の意味があります。』

 

とありました。
(私自身は無宗教なのですが、たまたま子供を三育教会系列の東京衛生アドベンチスト病院で出産しているので勝手に縁を感じて引用してしまいました。)

 

これらを調べて改めて感じたのは、

愛と赦しはイコール

と言っても過言ではないのだな、ということです。
相手への愛があれば、相手の過ちを罰したいという欲求を手放すことができる。

 

そこまで理解しても、現実にあらゆる形となって現れる事象、立ちはだかる壁を目の前にすると、菩薩のように動じず、愛し赦し手放す、と簡単にはいきません。

 

昨年から身に降りかかった災難はまさに、自分やパートナーや家族にまつわる「愛」と、「赦し」がテーマの問題でした。
しかし当初はそのテーマに気づいてもおらず、目の前で起こる事件に反応し、反射でものを言い行動し、相手を責め、自分のエゴが炸裂して、美しくない言動、ふるまいをしてばかり。そして全て無自覚でした。

 

私は、Asi.発起人のゆいさんいわく「スピリチュアル研修生」として参加しているわけですが、ちょっと前までは研修生にすらなれなかった、なる気もなかった、気づいてなかったという状況だったので、昨年から身に降りかかった災難についても、そのテーマも、意味も考えず、危うく単純な自分の感情や正論でさっさと結論を出して終わらせていたと思います。

だってその方が楽だから。

物事の表面だけみると、私は「被害者」でした。三次元的な視点で見ると、「さっさとそんな状況から抜けるべき、私は悪くないんだから。時間が勿体無い。迷う気持ちはあっても正論的にはこれが正解!」。そのように考える方が楽だし、周りもみーんなそう言う、という状況だったのです。

 

しかしスピリチュアル研修生になっていた私は、ゆいさんのアドバイスにより、
なぜ、その災難がいま自分に降りかかって来たのか、それにどんな意味があるのか、正論だからこうしとけ、と言う対処で自分の心は本当にそれでいいのか、といったことを考えるようになりました。

それは過酷な作業でした。

 

まず自分を大切にする自分への愛と、パートナーに対する愛が共存できなかった。
私を大切にするなら相手を罰さずにはいられない!
赦すなんて無理だ!と言った調子です。

 

正直今もまだそう考えてしまう時があります。
でも何ページもあるドリルに繰り返し取り組み、進んだと思ったら過去問が出てきてやり直したり、とやっているうちに、やっとわかってくることもありました。

 

自分が「愛」だと思っていたものは、実は愛とはちょっと違うかもしれない。

まず自分への愛が足りていなくて、相手の愛で補おうとしているからこうなったのではないか?と。
自分への愛が足りていないから相手を赦せないのでは。それはつまり自分を赦せていないのでは。

 

自分をしっかり愛せていないから、相手をしっかり愛せない。
自分に自信がないから、相手を赦せない。
前向きな意味で、パートナーは他人だということを認められない。

 

つまり、
自分を愛することができれば、相手のことも本当の意味で愛せるし、
自分に自信を持って、自分のことも赦せれば、相手のことも赦せる。
自分と他者が相剋なく共生できる、それが「愛と赦し」なのでは。

これが、まだまだ感覚的に世の理を理解できない私が、導き出した答え?です。

 

はい、だからと言って実践は難しい笑

 

自分が愛せる自分になり、美しい行いをしていく中で、相手が自分を傷つけてくるならば、無理に愛し赦す必要はない。
でもでもその相手がいないとだめな気がするの、みたいな執着も、自分を愛せれば手放せるはず。

 

きっとすごく遠回りをしていると思います。
失ったものもありました。

そして、一度クリアしたと思っていたドリルが、相手が同じことを繰り返してきてやり直しになったり、でもなぜかもういいや、と思えずに再度取り組む、と言う試練があったり、自分が幼い頃から抱えている親との問題も一緒になって炙り出されたり、もうてんやわんやです。
研修生にだすドリルとしてはちょっと難易度が高すぎです。

 

でも正論は必要ない。

正論や一般論に当てはめて考えると苦しいことが多い。
今まで正論ならこう、と選択してきた結果、歪んだものが今目の前に現れていると思うので、結果正論通りの選択をするとしても、自分がやり切ったと思えるまで、心の底からこうだ、と思える選択をすることが大事だと気づきました。

 

まだドリル半ばなので、いつかこのコラムを自分で読み返して添削できることを目指します。

 

最後に、私が自分やパートナーや家族への愛についてこんがらがっていても、
まだ赤ちゃんの下の子の笑顔を見ると、浄化される。

これが一番無敵な無償の愛の表れだなと気付かされます。
なんだかんだ言って、その清らかな存在の前では、誰に対しても感謝でいっぱいになるのです。

 

SAORI

 

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この記事を書いた人

SAORI

17歳より映画業界に入り、20年以上様々な映画やドラマの小道具、持道具を担当。
自身の出産を機に、映画業界で子供を育てながら働くことの難しさに直面し、2020年にNPO法人映画業界で働く女性を守る会(swfi)を設立。子供を育てる女性の視点での問題を解決することであらゆるジェンダーが働きやすい労働環境を目指して活動する中で、「既存ルールにとらわれず、自分のモラルを軸に、人生を送る」というAsi.の考え方に賛同。
一見制限のある世界にいるようでも、自分らしく自由でいる生き方ができる。そんな人生を、自分自身トライしながら発信していく。

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