次元上昇メディアAsi.(アシ)

「スピリチュアル」ってどんなイメージ?


北米のスピリチュアルって?

どうも、お久しぶりです。お園です。

近年、「スピリチュアル」という言葉は、人によってさまざまな意味で捉えられるようになってきました。もともとこの言葉は、「精神性」や「魂に関すること」を意味しますが、日本では「霊的な世界」としてイメージされることが多いようです。

「見えないのに、在る」。



その感覚を人と共有するのは、いささか難しいことでもあります。

真偽を問うより前に、「理想」ばかりを語ったり、「見えない世界」を中心に現実を判断してしまうと、どこかバランスを欠いた印象も否めません。

一方で、北米では「スピリチュアル」は、「精神性の高い人」という意味合いで使われています。経済的にも人生にも豊かに生きている人たちが、目に見えない力を信じ、それを上手に活かしながら、人や社会のために行動している――そんなイメージです。

日本でも、タレントや経営者、政治家などが「スピリチュアリティ」を大切にしている姿をよく目にしますよね。

では、なぜ私たちは「見えないもの」を活用する必要があるのでしょうか?

そもそも私たちは、「見える世界」と「見えない世界」の両方の中で生きています。だからこそ、見えない世界(=潜在)をうまく使えば、見える世界(=顕在)もより良くなる。そのループは、誰でも実感できるはずです。

逆に言えば、現実を無視して「見えない世界」だけに依存してしまうのは本末転倒です。

ただ、「見えない世界」というと大げさに感じるかもしれませんが、もっと身近な例で考えてみるとどうでしょう。

たとえば、「今」に集中できず、過去の後悔や未来への不安ばかりに囚われているとき――そんな状態も、ある意味で「見えない世界」に引っ張られていると言えるかもしれません。

それなら、いま目の前のことをしっかりやるほうが建設的。

(……と、自分に言い聞かせていたりもします(笑)。)

 

ここで言いたいのは、「見えない世界」は現実世界を無視するためにあるのではなく、思考ばかりでなく「感じる」ことを大切にすることにある、ということです。

ここでわざわざ言語化する必要はありません。深い呼吸してリラックスする程度でもいいのです。

呼吸は「潜在」と「顕在」を結ぶ唯一の場所。

意識的にも無意識的にも動かせるのは、呼吸だけなのです。

(たとえば心臓や胃腸は意識的に動かせない。反対に手や足は、無意識に動かない)

それでも思考がザワザワしてきたら、塩風呂に入る、自然に触れる、音楽を聴く、などに頼りましょう。その頼り方を学ぶことは重要なので、そのために現在の「スピリチュアルの教科書」があると思ってみてください。

やみくもに龍神の勉強をする必要はありません(笑)。

 

神様は「足長おじさん」と思えばいい

 

Asi.では、欧米で注目されている新しいウェルビーイングの概念「SBNR(Spiritual But Not Religious/宗教的ではないがスピリチュアル)」をたびたび取り上げていますが、

これは、既存の宗教に縛られず、個人の自由な意思で精神的な充実を求めるあり方です。

実はこの「SBNR」、日本の精神文化とも相性がいいんです。

八百万の神やアニミズム、禅や瞑想など――自然とともに生きるという価値観は、日本人がずっと大切にしてきたもの。だから今、世界が日本のスピリチュアリティに注目しているのも納得なのです。

世界が注目しているのに、日本人がそれを忘れてしまうのは、少しもったいない。

私たちが自国の精神性を再発見することは、世界と心でつながる希望にもなります。

それに、日本人は「海外で流行ってる」と聞くと、不思議と安心して取り入れることがあるもの。

「瞑想」も、ほんの10年前まではちょっと怪しまれていた時代がありました。

私も、東京でバリバリ仕事をしていた頃、こっそり瞑想や潜在意識のことを勉強していましたが、なかなか人に話せなかったものです。

でも今では、あちこちで取り入れられている。時代は変わるものですね。

だからこそ、誰かの目を気にするより、自分がピンときたことを、こっそりでもいいから始めてみましょう。

神様のことも、難しく考えなくていい。

「足長おじさん」みたいな存在だと思えばどうでしょう? 顔は見えないけれど、なぜかいつもサポートしてくれている。そう思えば、自然と感謝したくなるし、もっと知りたくなる。

そんな感じで、軽やかに、楽しく、精神性とつき合っていけたらいいですね。


 

コメントは受け付けていません。


SHARE
PAGE TOP